わが社の海外展開ウガンダ共和国カンパラ市 フェニックス・ロジスティクス社
特産のオーガニックコットン製品を世界に

40年以上前からウガンダに心血を注いできた日本人社長の下で

東アフリカのウガンダ共和国にある衣料品企業フェニックス・ロジスティクス社を率いる柏田雄一社長。1965年から日本・ウガンダの合弁企業の経営に携わってきました。しかし、激しい国内紛争で何度も危機に直面し1984年に経営を離れて帰国しましたが、大統領の要請を受けて2000年に会社を再建。ウガンダ経済に貢献するため、特産のオーガニックコットンを活かした国際競争力のある商品開発にチャレンジしています。


【写真】柏田雄一社長

ウガンダ製品の付加価値を高めるために、特産のオーガニックコットンに着目しました。品質管理やコンプライアンスを含めて、ウガンダの会社が国際競争を生き抜いていくために貢献していきたいと思っています。

柏田 雄一 社長

相次ぐ危難に耐えて育てた会社


【写真】
工場外観

ウガンダが英国から独立して間もない1965年、新政府は、現地で製品の評判が高いヤマトシャツ(現ヤマトインターナショナル 大阪市)と日本の商社に出資を求め、合弁による衣料品企業ユージル社を首都カンパラに設立しました。責任者には、世界を相手にヤマトシャツを販売してきた若き日の柏田社長が指名されました。柏田社長は、電動ミシンの使い方以前に、時間厳守、整理整頓などの基本から従業員を教育・指導して、短期間で経営を軌道に乗せました。しかし、相次ぐ紛争で何度も危機に直面。1979年のクーデターでは、家族を連れて着の身着のままでケニアに避難しました。

「ウガンダ国内の略奪を伝えるBBCニュースを見たら、どうしても自分の眼で確かめたいという思いが募り、ケニアの日本大使が引き止めるのを振り切って、セスナ機を仕立てて反政府側が支配するエンテベ空港に飛びました。幸い、私の顔を知っている兵士がいて、50km先のカンパラまで送ってもらえました。途中の商店はほとんど略奪されており、ユージルの工場も一切が奪われ破壊されていました。これで15年の努力も水の泡だと思いながら自宅に回ってみると、意外にも無傷でした。やがて近所の人が出てきて、押し寄せる略奪者に対して『この家は、ウガンダに尽くしている日本人の家だ。家がなくなればもう戻ってきてくれないから壊さないで』と身体を張って守ってくれたことを知りました。信じがたい思いで感激しました。

そして、騒乱がおさまった2週間後に工場に戻ると、今度は従業員が集まってきて『こんなことをしたのは我々の同胞だが、どうか工場を立て直してほしい』と泣きながら訴えるのです。この人たちを見捨てるわけにはいかないと思いました。

しかし、資金もなく融資も期待できないので、もう無理ですと新政府の大蔵大臣に挨拶にいきました。すると大臣は『少し待ってほしい』といって、わずかな時間で3億円の特別融資をまとめてくれました。後で、ウガンダ中央銀行の保証でロンドンの銀行から融資を取り付けたと聞きました」と柏田社長は当時を振り返ります。

このウガンダあげての期待に応えなければと、柏田社長は日本から機械を取り寄せ、材料を確保し、従業員とともに24時間体制で働いて2年半後には全額返済しました。しかし、その後も政変が続き身辺の危険が高まったこともあって、1984年にウガンダ人に経営を譲って帰国しました。

会社を再建し、オーガニックコットンに着目


【写真】
オーガニックコットンTシャツ

【写真】
生産風景

1993年、ヤマトシャツの代表取締役副社長になっていた柏田社長に、アフリカ開発会議(TICAD)に出席するために来日したウガンダのムセヴェニ大統領から、「ユージルが経営難で閉鎖した。もう一度、国際競争力のある企業に蘇らせるために協力してほしい」という強い要請がありました。

「私はウガンダ名誉領事も務めていましたが、このときは長年苦労をかけた家族にもう迷惑をかけられないと思ってお断りしました。しかし、2000年に会社を退いたときにウガンダの人々の顔が浮かんできて、今度は単身で行くことにしました」と柏田社長。

私財を投じ、かつての現地パートナーとの共同出資でユージルを買収し、不死鳥の願いを込めて社名を「フェニックス・ロジスティクス」としました。そして、荒れ果てた建物を直し、機械を修理し、従業員の再教育を行って、2001年に125人の従業員で操業を再開しました。

ところが、長いブランクの間に中国が台頭するなど世界の市場は大きく様変わりし、安さだけでは太刀打ちできなくなっていました。何とか特色を出して付加価値を高めないといけないと考えた柏田社長が以前からあたためていたのが、オーガニックコットン(無農薬有機栽培綿花)を使ったシャツづくりでした。

「ウガンダには、綿花の害虫を食べる天敵のアリが棲息しているので十分に可能性があります。世界的な環境保護、健康志向の広がりでオーガニックコットン市場は急速に拡大しています。当社は、ウガンダで唯一、原料綿からの紡績、織布、染色、裁断、縫製の一貫生産を行っていますから、品質管理をきちんとして海外の一流企業に高付加価値製品を提供していこうと考えました。そのため、3年間農薬を使用していない畑での作付けなど厳しい国際基準をクリアし、品質管理のISO9001、環境マネジメントのISO14001も取得してきました」(柏田社長)

世界に向けて高品質な製品を安定供給していくには、新規投資が欠かせません。しかし、ウガンダの金融機関では調達が難しく金利も年18%以上もします。邦銀もカントリーリスクがあるので頼ることは難しい状況でした。

ウガンダ開発銀行を通じてJBICが融資

そこで、柏田社長は、アフリカ支援に力を入れている国際協力銀行(JBIC)の国際金融等業務による融資に期待をかけました。産業振興をめざすウガンダ政府も積極的に動きました。難しい課題が数多くありましたが、アフリカの成長の加速化のための支援を進めるわが国政府のサポートを得ながら一つひとつクリアして、2007年7月にJBICからウガンダ開発銀行経由で限度250万ドルを融資するツーステップローンが決定しました。

「待ち遠しかったですね。今回の資金で、最新設備の導入に加えて、別々の棟で行っていた紡績、織布、染色・加工、縫製工程をまとめて一貫生産ラインとし、生産効率と品質の向上を実現できました。2008年3月から順調に本格稼動に入っています」と、柏田社長から近況報告が届きました。

2007年秋からオーガニックコットン仕様のTシャツやポロシャツの輸出も本格化しており、欧米日の有力バイヤーとの年間契約交渉も順調に進んでいるとのことです。

「国際化ではコンプライアンスが重要です。ウガンダはGDP6.7%の成長を遂げていますが、“白猫であれ黒猫であれ鼠を取る猫はいい猫”とばかり利益優先で法律無視、収賄などの歪みも生まれています。長期的な事業を続けていくにはコンプライアンスが大切であることを、当社が身をもって示していきたいと考えています」と、76歳を迎える柏田社長はウガンダへの愛情を込めて語っています。

いっそうのアフリカの民間セクター支援を

今回の融資では、債務削減国であるウガンダの現地日系企業への融資だったために、ガバナンスや投資環境整備などの面で多くの課題がありました。そこで、JBICは2005年に日本企業などの直接投資を促進するべく投資環境整備に向けた投資政策提言書(通称:ブルー・ブック)を作成し、ウガンダ政府に対して具体的な行動計画を提示しました。本融資はこの提言内容を踏まえつつ、ウガンダ開発銀行との連携で実現したものです。

柏田社長は、「長期(10年間)の融資に感謝していますし、これからのアフリカ民間セクター育成支援のためにも、ウガンダ開銀や東アフリカ開銀などとの協力を密にしていただいて、設備投資だけでなく運転資金などへの支援拡大にも期待しています」と語っています。

映像で知るJBIC

JBICの業務について、映像でわかりやすくご紹介します。

JBICストーリー

JBICが国内外で行っている様々な取り組みを紹介します。