JBIC ヒストリー Vol.6
20世紀末、行政改革により対外経済政策・経済協力の一元化が求められた。
その時、国際協力銀行は新たな政策金融機関として発足した。


国際協力銀行の保田博初代総裁。輸銀とOECFの業務を継承して支援を総合的に行う政策金融機関として、グローバル化や経済成長の負の側面への対処を本格化した
輸銀とOECFの統合により機動的かつ効率的な組織を実現
アジア通貨危機により、経済の低迷に苦しんだアジア諸国が回復の兆しを見せ始めた1999年10月、日本の対外経済政策・経済協力を一手に担う新たな政策金融機関がその一歩を踏み出した。
国際協力銀行は、日本輸出入銀行(輸銀)と途上国の経済開発に寄与する海外経済協力基金(OECF)の統合により誕生。初代トップを輸銀の保田博総裁が務め、日本を含む国際経済社会の健全な発展に向けた支援を開始した。
統合の背景には、中央省庁の再編を含む抜本的な行政改革の推進があり、対外経済関係に関わる両機関の情報やノウハウを一元化し、政策目的に応じた機動的かつ効率的な対応を果たすことが期待された。
誕生に先駆け成立した国際協力銀行法では、日本輸出入銀行法(輸銀法)と海外経済協力基金法をベースに、当時の業務実態や経済情勢を踏まえた業務目的が定められた。
また、グローバル化とアジア通貨危機における経験を踏まえ、「国際金融秩序の安定」への寄与が業務目的に追加された。同時に、輸出金融や製品輸入金融、投資金融の範囲なども見直された。
設立後は、支援内容の強化も積極的に行われた。例えば、航空機等の輸入では従来の融資に代えて民間金融機関の融資に対する債務保証を行うことで輸入支援を行う、製品輸入保証制度を2002年度に創設。外国の取引先等に保証を供与することで日本企業の信用力を補完するパフォーマンス・ボンド保証も同年度から導入された。
また、日本のプラント業界の国際的競争力を本格的に回復させるため、潜在的な優良案件の発掘につながるフィージビリティスタディ等を行う「案件発掘・ 形成調査業務」を制度として設けるなど、支援手法の多様化も進めた。
温室効果ガス排出削減にさまざまな取り組みで貢献
21世紀に差し掛かる頃には、地球温暖化対策の必要性の認識が国際経済社会で高まり、「京都議定書」が発効。日本の温室効果ガス削減の目標達成に向けて日本政府は、他国との排出削減プロジェクト共同実施や排出権の国際取引を可能にする「京都メカニズム」を活用する方針を掲げた。
国際協力銀行はそれに先立ち、03年6月に京都メカニズム担当審議役を設置して日本の削減目標達成や地球温暖化防止への貢献に向けた取り組みを強化。同年10月には、環境配慮に関する新たな統一ガイドラインを全面施行した。
また、国際的な民間企業団体である「国際排出量取引協会(IETA)」と業務協力協定を締結することで、最新情報の入手や具体的な排出量削減案件の支援へとつなげ、地球温暖化対策への貢献を目指した。
■国際協力銀行の発足と
直面する世界課題
1996年 | 1月 | 橋本龍太郎内閣発足、行政改革が政策課題に |
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1997年 | 12月 | 京都議定書が国連気候変動枠組条約 第3回締約国会議(COP3)で採択 |
1999年 | 4月 | 国際協力銀行法が公布 |
10月 | 国際協力銀行の発足 | |
2001年 | 9月 | 米国で同時多発テロ事件 |
2003年 | 6月 | 京都メカニズム担当審議役を設置 |
2005年 | 2月 | 京都議定書が発効、 排出削減目標が法的義務となる |
2008年 | 9月 | リーマン・ショック |