特集 ベトナム投資は共創の時代へ③
サプライチェーンの再構築を進めるメーカーのベトナム進出をサポートするタンロン工業団地
電力や水などインフラを安定供給、法律面でのサポート、親睦のためのイベントまで提供
誘致するベトナム側にとっても、安定した税収、雇用の創出、多分野での技術移転と、利点が大きい


夕方5時を過ぎると従業員の帰宅ラッシュが始まる。鉄道網が発展途上にあるベトナムでは、バイクでの通勤が一般的(タンロン工業団地のメインゲート)
若く勤勉な労働者、安い人件費。ベトナムに白羽の矢を立てた
首都ハノイは「河の内側」の意味を持つ人口800万超の大都市。都心部から北へ車で約30分走り、紅河(ホン河)を渡ると、工場が集積する広大な敷地が姿を現した。キヤノン、デンソー、ヤマハといった日本のグローバル企業から、中堅中小の「ものづくり」企業まで、全106社、約6万人の従業員が勤務するのがタンロン工業団地だ。
住友商事とベトナム企業の合弁で1997年に設立され、「工業団地の成功例」とされることもある。その後も2006年設立の第2タンロン工業団地(タンロン2)、15年設立の第3タンロン工業団地(タンロン3)と、ハノイ近郊で拡張してきた。住友商事の海外工業団地部から出向し、タンロン2と3で副社長を務める和智聡さんはこう話す。

「日本から見ればまだまだインフラや制度の整っていない国で、工業団地というフォーマットで日系及び非日系の製造業を受け入れる素地を作って企業を誘致する、というのがビジネスの根幹です。主なターゲットはASEAN諸国にインドを加えた地域。ベトナムもその1つで、今となってみれば成功例かもしれませんが、97年のタンロン1設立は相当なチャレンジだったと思います」
住友商事では当時、「工業団地フォーマット」の投資先を探していた。すでにインドネシアでの事業が軌道に乗っていた中、次に白羽の矢が立ったのがベトナムだ。若くて豊富な労働力、安い人件費、親日的で勤勉な国民性。市場経済導入と対外開放化を柱としたドイモイ政策への転換で、90年代のベトナムは堅実な成長を見せ始めていた。
ただし当時は、最大都市ホーチミンを擁する南部が発展の中心。ハノイのある北部は道路や港湾等のインフラの未整備が企業進出のボトルネックになっていた。
設立から四半世紀が過ぎたが、ベトナムには現在、工業団地が300以上存在するとされる。ベトナム資本によるもの、他の日本の商社によるもの、タイや韓国、シンガポールなど日本以外の外資企業によるものもある。その中で入居料だけ見ると「タンロンは割高」(和智さん)だが、募集枠はすぐに埋まり、敷地も拡張に拡張を重ねる人気ぶりだ。その要因はどこにあるのか。


「ASEAN諸国だと、ものづくりの前に気にかけないといけないことが多い。電気がちゃんと来るのか、水の品質はどうか、適切に人を雇えるのか、法律の変更が頻繁にあるがどうやって対応するのか、といった具合です。こういった製造業の方々がものづくりに専念する前段階を、我々が全部請け負ってしっかりやります。そんなところを評価していただいているのだと思います」(和智さん)

住友商事の海外工業団地部から出向し、ベトナム・ハノイのタンロン工業団地の運営に携わる和智聡さん
日本人スタッフを配置し、環境対応やDX化のサポートも
タンロン工業団地では、電力なら自前の変電所を設置したり、地下水や雨水から品質管理を徹底して工業用水を共有したりしている。こうした設備を毎日欠かさずメンテナンスすることで、インフラサービスの安定供給を実現するわけだ。
「さすがにハノイ市内だと最近は減りましたが、少し郊外に行くと、部屋で照明がパッと飛んでしまうとかテレビがいきなり消えてしまうといった、いわゆる瞬間電圧変動が年間1000回ほど起きるし、まだまだ停電もある。それがタンロン工業団地では、年間20~30回の瞬間電圧変動だけで済みます」

安定した電力供給と環境対応のため、タンロンでは工場屋根への太陽光発電パネル設置が進んでいる(上)/広大な敷地には洪水対策として雨水を貯めるための調整水路や調整池まで整備されていた(下、共に第2タンロン工業団地)
日本人スタッフも、タンロン1~3に各5人程度を配置。入居企業側と絶えず情報交換しながら、法律や制度の変更をインプットし、最近では環境対応や工場や会社経営のDX化のサポートまで行う。
そうして得られる安心感を、タンロン2で綿製品を製造する医療・衛生用品メーカー、スズランの現地法人社長、川辺和晴さんも利点に挙げた。「当社は4交代制で、土日も関係なく24時間操業していますが、入居から5年間、電力や水で大きなトラブルはありません。政府関係の書類をチェックしてくれたり、日本語で情報提供してくれる点も助かっています」
また、入居企業やその従業員の親睦のため、工業団地内での定期的なイベント実施にも積極的だ。和智さんは胸を張る。「日本らしさ、を大事にしています。親日的なベトナムの方にもっと日本を好きになってもらいたい。春には企業対抗の駅伝大会、夏には入居企業の従業員とその家族を招待した夏祭り。屋台を用意し、お神輿も担ぎます。ベトナムの方々にも新鮮に映るようで、毎回盛況ですよ」


名古屋に本社を持つスズランの現地法人社長、川辺和晴さん(左下)/インドネシアや韓国から仕入れた原料からタンロン2内の工場で綿製品を製造している(上)/工業団地での夏祭りのためにベトナムの宮大工に特別に作ってもらった神輿(右下)
「△」があっても「×」がない。ベトナムは企業進出に最適
サプライチェーンの再構築を進める日本企業にとって、「インフラにせよ政治体制にせよ、ベトナムは『△』があっても『×』がない。リスクの少なさ、バランスの良さが他国と比べたときの利点」と和智さんは説明する。人件費は今やラオスやミャンマーより高いが、政治体制は安定している。またハノイの場合、国内トップ大学20校の半数以上が集まっており、幹部候補やエンジニアのベトナム人を雇いやすい。
とはいえ、ベトナムであれ他の国であれ、特に中堅中小企業にとって海外進出は容易なことではない。パートナーとなる現地企業を見つけるのが1つの手だが、良い関係を築けないこともある。その点、日系の工業団地に入れば、ものづくりに集中できる環境を得られることが大きい。
また、外国企業を誘致したいベトナム側にとっても工業団地は利点が大きい。いずれ撤退してしまう可能性のある個別企業を誘致する場合と比べ、信頼性の高い日系の工業団地であれば、安定した税収を見込め、雇用創出の効果が大きい上、多分野での技術移転も期待できるからだ。
和智さんによれば、ベトナムの地方政府だけでなく従業員の間でも評判は上々で、「田舎に帰るときに工場の制服を来て帰るなど、ベトナム人従業員も日本企業で働くことを誇りに思ってくれているようです」。
現在、台湾企業や香港企業など日本以外の外資の入居も増えているタンロン工業団地。インフラを整え、夏祭りまで開くというその運営ノウハウは、日本企業の進出支援にとどまらない効果を生んでいる。


第2タンロン工業団地、第3タンロン工業団地
副社長
和智 聡(わち・さとる)さん
2001年住友商事入社。物流関係の業務に従事するも船会社や液体輸送コンテナのレンタル等で仕事の下地を学んだ。14年から海外工業団地部。日本での客先誘致活動とタンロン3の開発を担当。17年から現職