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ゴムクローラ建設機械を開発した不整地運搬のパイオニア。グローバル市場へ挑み、「道なき未知を切り拓く」

わが社のグローバル展開 株式会社諸岡

あらゆる不整地での走行において威力を発揮する諸岡のゴムクローラ建設機械は被災地や極地を含めて、世界中のさまざまな地形で活躍している。創業者から受け継ぐ開拓者精神と卓越した技術力により、荒野の大地を力強く進む。

諸岡正美さん①の画像 諸岡正美さん①の画像

株式会社諸岡/代表取締役会長 諸岡正美さん 慶應義塾大学卒業後、建設会社を経て、父が経営していた諸岡に入社。1989年に代表取締役社長に就任。本年より会長として新しいことにチャレンジし、グローバル展開やESG経営を推進中。フットワーク軽く、現在も自ら開発機を運転し、若手技術者にアドバイスをしている

軟弱地盤での資機材の運搬に鉄製クローラをゴム製に転換

被災地や山間地の急斜面など、どんな悪条件下でも縦横無尽に動き回り、土砂などを運搬する重機。その動きを可能にしているのが、凹凸した地面に沿って機敏に動く車両の足回りに設置されたゴム製のクローラだ。諸岡により世界で初めて開発されたこの技術は、創業者の開拓者精神によって生み出された。

被災地において家屋や流木などの木材がれきの処理に活躍する諸岡の林業機の画像

被災地において家屋や流木などの木材がれきの処理に活躍する諸岡の林業機

茨城県南部に位置する龍ケ崎で農家の長男として生まれた創業者諸岡一雄氏は、戦後復興期、米の量産に向け、井戸を掘り、地下水を活用して陸田の拡大を図ろうとした。農業に従事するなかで、独自に井戸掘りの技術を考案、1966年に土木建設会社を立ち上げた。

しかし、もともと地盤が軟弱な土地柄、井戸を掘っても水道管の敷設に向けた資機材の運搬がうまくいかない。重機の重みで足回りが地面に埋まってしまい、思うように動かなかった。

資機材をうまく運べる方法はないか試行錯誤を続けるなかで、重機に設置された重量のある鉄製のクローラを、より軽いゴム製に変えることを思いつく。まずは自家用に小型のゴムクローラ運搬車を開発。軽量化で接地面への圧力が低くなり、小回りも利くようになった。

その技術に周囲からの要望が高まり、大手ゴムメーカーに掛け合い、共同で大型のゴムクローラ運搬車の開発に成功した。こうして、世界に類をみない諸岡の技術の原型が確立。多くの特許を取得し、納入先は南極昭和基地や自衛隊にまで拡大していった。

「創業者の父親は、とにかくチャレンジ精神が旺盛で失敗を恐れず、その失敗を次の開発につなげる。決してあきらめない人でした」。2代目社長を引き継ぎ、現在は会長を務める諸岡正美氏はそう振り返る。幼い頃、父親が自宅で機械のスケッチを何度も描いていた姿が今でも目に焼き付いているという。

諸岡正美さん②の画像

「先人たちが培った日本の技術(Made in Japan)への信頼は依然として高いですね」と嬉しそうに語る、代表取締役会長の諸岡正美さん

バブル崩壊の苦い経験から事業の多角化を進める

正美氏が父親から社長を引き継いだのは89年。30歳の時だった。販路を広げようとしていた矢先、バブルが崩壊。事業の再構築を余儀なくされた。経営計画を見直し、会社を継続させるためには何が必要かを考えた。浮き沈みがある建設機械の需要変動に対応するため、事業の多角化を進めた。目を付けたのが林業だ。不整地での運搬技術を生かし、山間部の傾斜のある現場に特化した林業用運搬車両を開発した。

また、2000年には廃棄物処理法が改正され、廃棄物の野焼きが禁止になりリサイクル需要が高まるなか、建築廃材などを破砕して再利用する流れも加速した。当時、破砕する機械はほぼ輸入品に限られたため、国産の木材破砕機の製造を開始。時代の潮流を捉えて、環境分野にも用途を拡大した。

社長自ら現場で自社の重機を運転し、デモンストレーションを行い、その技術を披露することで顧客を獲得していった。「急こう配で危ない目に遭ったことも」とはにかむその言葉には、先代から受け継いだ開拓者精神が垣間見える。

茨城県龍ケ崎市の本社工場。長年にわたり培った技術と経験が他社には真似できない製品を生み出す原動力だの画像

茨城県龍ケ崎市の本社工場。長年にわたり培った技術と経験が他社には真似できない製品を生み出す原動力だ

販路拡大へ海外市場進出。築かれたブランド力を糧に

事業の多角化のみならず、米国や欧州へと海外販路拡大も進めた。03年、米国に現地法人を設立、12年から現地生産も開始。16年には米国の生産会社を完全子会社化した。また、17年にはドイツにも販売会社を設立。そして、需要の高まりに応じて24年4月には米国での販売とレンタル会社の設立に向けて、現地企業を買収。これにはJBICの融資も活用した。

「米国での販売は現地の代理店に任せていたのですが、それでは顧客のニーズに細やかに対応できない。顧客に直接サービスを提案できる体制をつくることで、もっと米国での事業に広がりがでてくると期待しています」。海外での売上高比率を現在の約4割から、将来的には5割にまで引き上げたいと目論む。

米国での現地生産販売においては、米国人の大きな体格や座り方の特性にもあわせて、日本製から米国仕様の設計に微調整を加える気配りも欠かさないの画像

米国での現地生産販売においては、米国人の大きな体格や座り方の特性にもあわせて、日本製から米国仕様の設計に微調整を加える気配りも欠かさない(米国・バージニア州の生産工場)

海外での諸岡の技術の評価について、こんなエピソードがある。かつてインドネシアのパームヤシのプランテーションを視察した際、作業員の前で「諸岡の社長です」と挨拶すると歓声が上がった。その現場では、中古の諸岡の運搬車が活躍しており、作業員たちは、その重機を「モロオカ」と呼んで大切に使用していたのだ。

「中古市場の当社が知らないところで、すでに世界的な評価を得ていたことに気づかされました。自社ブランドに自信を持って勝負できると確信しましたね」。今後、東南アジアなど新たな市場進出にも意欲的だ。

正美氏は24年4月、会長に就任し、3代目の諸岡昇氏に社長のバトンを渡した。重機の電動化やDXなど新たな時代への経営課題も山積だ。「道なき未知を切り拓く」諸岡の挑戦は続く。

米国・バージニア州の工場で生産したキャリアダンプの画像

米国・バージニア州の工場で生産したキャリアダンプ

株式会社諸岡

1966年 会社設立
1975年 不整地運搬車の製造販売を開始
2003年 米国に現地法人を設立
2016年 米国・バージニア州の生産会社を完全子会社化
2017年 ドイツ・フランクフルトに販売拠点を設置
2024年 米国で販売会社及びレンタル会社を買収により設立
融資概要

2024年3月、諸岡との間で、融資金額計1300万米ドル(JBIC分)の貸付契約2件を締結。三菱UFJ銀行との協調融資。諸岡の米国法人Morooka, Co.による現地販売事業者及び現地レンタル事業者の買収への支援を通じて、日本の産業の国際競争力の維持及び向上に貢献する

本案件に関するプレスリリース
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