特集地経学リスク時代の企業戦略
世界秩序は転換期にある。同盟関係は揺らぎ、かつては平和をもたらすと期待された経済的相互依存が今や「武器」として用いられている。地経学と安全保障の専門家ニクラス・スワンストロム博士が、変容する国際環境と日本の対応戦略を語った。
安全保障開発政策研究所(ISDP)
共同創設者・所長
ニクラス・スワンストロムさん
Niklas Swanström
スウェーデンのウプサラ大学および米国のフレッチャー法律外交大学院で修士号、ウプサラ大学で博士号を取得後、中国でも研究活動に従事。現在はスウェーデンに拠点を置くISDPの所長を務める。多くの著書・共著があり、テーマはサプライチェーンの安全保障、サイバー戦や偽情報といった非伝統的な安全保障上の脅威、中国の外交政策、北東アジアの地政学・地経学、紛争の防止と管理など
今年の欧州、北米、アジアの安全保障環境の変化をどう予想しますか?
キーワードは「予測不能」です。安全保障、経済、政治がかつてなく絡み合い、連動する課題が同時進行しています。従来の同盟の枠組みは当面弱まり、各国は関係の多様化を進めざるを得ません。その結果、分極化が進む一方で、多極化も進みます。各国が自国の安全保障と経済的強靱性を優先しているためです。
貿易や政治的連携の変化は、どの程度の重要性を持つのでしょうか?
極めて重要です。同盟国の対米認識は変化しています。米国が欧州、日本、韓国にとって最重要の安全保障提供者である事実は変わりませんが、米国市場への過度な依存を見直す動きも広がっています。消費者や企業の選択にも変化が見られます。その中で中国は、複雑さを抱えつつも経済パートナーとして重要性を増しています。
日本や欧州のサプライチェーンや経済安全保障には、どのような影響がありますか?
多様化はもはや不可欠です。日本や欧州は、輸出管理や関税、重要鉱物の制限を通じて大国による経済的圧力にさらされています。代替先の多くも大国の影響下にある状況ですが、それでも、単一主体への依存は重大な安全保障リスクです。
経済的相互依存は紛争を抑止できない?
大筋ではそう言えます。相互依存は富を拡大しましたが、同時に武器化され得る脆弱性も生みました。今や貿易や投資、規制は威圧の手段となっています。ただし、デカップリング(経済の切り離し)は現実的でなく、望ましくもありません。冷戦期でさえ完全なデカップリングは実現しませんでした。重要なのは、依存関係をいかに管理するかです。
例えば太陽光パネルなどの分野で、日本や欧州が生産を国内回帰させるのは現実的ですか?
技術的には可能ですが、極めて高コストです。完全な国内生産体制を構築するには、膨大な投資と時間が必要です。その上各国は軍事支出も拡大しています。どの技術や分野がコストに見合うほど重要なのか、優先順位を決めることが課題です。消費者が価格上昇を受け入れるかどうかも重要です。
欧州ではロシアのウクライナ侵攻を機に負担受容の世論が強まりましたが、日本でも台湾危機が起これば同様の変化が生じる可能性があります。ただし、すべてを同時に実現できる余力はありません。政府はどの分野を優先するのか、厳しい選択を迫られています。
日本は日米同盟とアジア太平洋地域との関係をどう両立できるのでしょうか?
日本の課題は、米国、アジア、欧州のいずれかを選ぶことではなく、すべての関係を戦略的に活用することです。多様化は不可欠ですが、場当たり的であってはなりません。東南アジアや中・北欧、中南米などへ関係を広げつつ、重点地域を見極める必要があります。ベトナム、メキシコ、ブラジルなどは有望な選択肢で、バランスの取れた関係を構築することが目標です。
地政学・地経学リスクに関する誤解にはどのようなものがありますか?
大きな誤解の1つは、地政学リスクは政府だけが管理するものだという見方です。実際には企業、とりわけ中堅企業が最初に圧力の対象となることが少なくありません。対中依存を低減すれば解決するという考えも単純すぎます。代替サプライヤーの多くは依然として中国と深く結びついているからです。
専門特化や長期的な取引関係が政治的圧力から守ってくれる保証もありません。軍事衝突のリスクは時に誇張されます。台湾や朝鮮半島を巡る情勢は深刻ですが、報道が示すほどには一面的ではなく、一定の管理が行われています。一方で、サイバー攻撃、法規制の武器化、偽情報、気候関連の混乱といった非軍事的リスクは過小評価されがちです。
サイバー攻撃や偽情報の拡散など、非軍事的リスクは国家間の対立と並行して拡大している。見えにくい脅威への対応が経済安全保障の重要課題となっている
現在のような変化する国際環境下で、JBICが重視すべき点は何でしょうか?
JBICは単なる開発銀行ではなく、日本の経済安全保障を支える戦略的中核機関です。半導体、先端材料、電池、デジタルインフラ、医薬品、宇宙・衛星システムなどの重要分野と重点地域に優先的に取り組むべきです。
あわせて、複合的脅威やサプライチェーン強靱性の指標を組み込んだ地政学リスク評価の高度化が求められます。成功やリスクの評価基準も見直し、商業的採算性に加え、日本の長期的な競争力と安全保障に資する戦略的価値を同等に評価すべきです。そのためには、リスク許容度を高め、政治リスク保険の拡充や日本企業がリスクを分担できるコンソーシアム型投資支援などの金融手法を強化する必要があります。
国際法の機能が揺らぐ中、JBICや同様の機関は国際法をどう捉えるべきでしょうか?
国際法だけで投資が守られると想定することはできません。国際法は各国の合意に基づく制度であり、大国に対する執行力は限定的です。日本や欧州には国際ルールを無視できるほどの軍事的影響力はありません。だからこそルールは私たちにとって一層重要なのです。予測可能性と法の支配を重視する国々との連携を強化することが現実的な対応です。
新興技術分野での標準化を巡る連携や開発銀行、輸出信用機関、アフリカ開発銀行、米州開発銀行など地域機関との協力がカギとなります。国連や世界貿易機関(WTO)は不完全で効果が限定的な場合もありますが、依然として数少ない包括的枠組みです。制度の弱体化を放置せず、段階的に強化を図ることが望ましいです。





