特集 インド 新経済大国の勃興①
潜在的な成長可能性の高い領域が製造業や農業などIT以外にも広がりを見せ、さらに経済成長はまだ初期段階にある
モディ政権の政策の柱は「Make in India」から「Self-Reliant India」へ、戦略分野を絞りつつ外資誘致への意欲は変わらず
進出の可能性は全土にあり、各エリアの特性を掴んでインド流経営を軸に展開することが肝要、JBICも支援を拡大している


2014年の就任後、インドの経済成長を牽引してきたナレンドラ・モディ首相 写真:Bloomberg/Getty Images
コロナ禍からV字回復。健在のIT、力強い公共投資
「本当にジェットコースターみたいな4年でした」。こう振り返るのは、国際協力銀行(JBIC)ニューデリー駐在員事務所の首席駐在員、栗原俊彦さんだ。2019年7月に着任し、ようやく現地に慣れ始めた矢先、全世界をコロナ禍が襲う。
「インドでは、戒厳令に近い厳しいロックダウンが実施されました。外に一切出られず、散歩すら許されませんでした」。コロナ禍が落ち着いた今、インドは我が世の春を享受しているかのようだという。着任以前は、訪印したこともインドに対する特別な思い入れもなかったという栗原さん。だからこそ昔のイメージにとらわれることなく、先入観なしにインドの勃興と現地で向き合えている。

一時帰国時、東京で取材に応じるJBICニューデリー駐在員事務所の首席駐在員、栗原俊彦さん
コロナ禍が始まった20年こそ経済成長率が前年比マイナス6.6%と落ち込んだインドだが、翌年には8.7%の成長とV字回復した。22年も6.7%成長。名目GDPは約3兆3800億ドルと英国を抜き、日本の8割に迫っている。「インド政府としては、向こう10年間ぐらい経済成長率を6~7%で安定させていく方針です」と、栗原さんは語る。
驚くべきは、そのような成長がまだ初期段階と予測される点だ。全人口は23年に中国を抜き世界1位へ。すでに中国は22年から人口減に転じているが、インドの人口は2060年代まで増加が続く見込み。しかも、農村部にまだ全人口の3分の2を超える約10億人が暮らしていると見られ、内需拡大の余地を多分に残しているという。
産業構造を見ても、GDPに占める農業の割合は15%ほどだが、農業の就業者数は全体の約4割。今後の経済成長への貢献が期待できる製造業、さらには金融や不動産、流通など高生産性分野への、労働力のシフト余力も十二分にあるのだ。「農村部では未だ家電や車もいきわたっておらず、経済・金融包摂の伸びしろがまだまだあります」

力強い回復を見せているインフラ面への公共投資も、インドの躍進を支えている。「基礎的なインフラもインドではまだまだ整っていません。ものすごい勢いで建設ラッシュが続いており、インフラ投資向けの政府予算も前年比3割増くらいの勢いで増えています」。高水準で推移する経済成長と、行政のデジタル化の進展による税収の安定がこうした積極投資を支えている。
「インドは途上国の中では手堅い金融政策にも定評があります。豊富な外貨準備を背景にインドルピーはドルや円など主要通貨との変動も意外に少なく、『ルピーリスク』を恐れる欧米投資家はそう多くありません。資源高にもかかわらずインフレ率も成長率の範疇でうまく収まっています」
インド経済を大きく牽引してきたIT産業も依然として健在だ。23年5月には、米アマゾンが2030年までに大規模データセンターなどのクラウド関連インフラへ1兆560億ルピーを投資すると発表。建設や設備保守、通信など年間数十万単位の雇用も生む計算だ。
「ITに関しては、インドには世界2位の『英語話者』という絶対的メリットがある。加えて、もともとアウトソーシング先として発展してきた背景には、国家を挙げていわゆるSTEM(科学・技術・工学・数学)人材を育成しており、要求水準に応えられる人材のプールがあることが挙げられます」

モディ首相の指導力と外資の誘致。「自立したインド」の真の狙い
インドの躍進を語る上では、14年に発足したモディ政権のリーダーシップが見逃せない。その1つが、同年に旗印として掲げた「Make in India(メーク・イン・インディア)」だ。これは世界中から投資を呼び込むことでインドの製造業を振興・強化する国家施策。
栗原さんは、「非常にわかりやすいテーマで、一定のアナウンス効果はありました」としながらも、「力強いインド製造業セクターの確立、とまでは至らなかった面もあります」と指摘する。
2020年には「Make in India」のアップデート版ともいうべき「Self-Reliant India(自立したインド)」を2期目に入ったモディ政権が発表。経済政策や投資誘致政策に留まらない、経済安全保障の概念を取り入れた国家の一大戦略だ。「まさに『自立したインド』に資する戦略分野に絞って重点的に強化していく政策です」と、栗原さん。


例えばエネルギー分野では、石油や石炭のような輸入依存度が100%近いものを再生可能エネルギーや輸入依存度が半分ほどの天然ガスに切り替える、また再エネについても輸入に依存する太陽光パネルの国産化を目指し、そのために国の補助金や州政府の無利子融資を通じた振興策を取る、というような戦略的アプローチである。

モディ首相は「自立したインド」に合致しないものは政策的に容認しないという強いメッセージを官民に打ち出す。インドでも省庁間の縦割りや許認可の壁というものは存在するが、政治主導によるトップダウンは明確で、旧弊を打破して省庁間一体で取り組むムードが醸成されている。
もっとも、この施策は一見すると国内産業の保護主義のようだが……。「確かに、外資や自由貿易を制限する施策と捉える向きもあるでしょう。でもそこはしたたかで、外資や外国製品のいいところは積極的に導入するというバランスを見た運営がされています。それに、インドが特に是正したいのは中国一国への依存なのです」

中国との貿易量は増加の一途をたどってきたが、圧倒的に輸入が多いという不均衡があった。「中国から何でも安く調達できればよいということが起きていて、それが貿易赤字に直結して問題視されていました」と、栗原さん。20年に国境を巡る衝突が起き、国内世論が中国との関係改善を許さなくなるという流れも受けて「自立したインド」が発表された。
また、地政学の観点からも、中国への経済依存度を引き下げ、幅広いセクターにおける製造拠点の誘致を強力に推進するのは必然だ、と栗原さんはみる。
「インドは中国に代わる『世界の工場』にならんとする意欲を強く示しています。西側諸国からもグローバルサプライチェーンをインドにシフトしていく動きがあり、その機会も捉え、中国と距離を置くという考え方です。中国以外の国に対する外資呼び込みはモディ政権のもと、一貫して推進されています」
日印関係も以前より密になっている。インドの戦略的重要性が高まるなか、JBICが22年に日本企業に対して実施したアンケートでは、今後3年間で有望な国としてインドが中国を押さえてトップに立った。日本側のインド進出に向けた機運は高まりを見せている。
「インド日本商工会には500社ほど加入していますが、多いときで月に5~10社という史上最多のペースで加入企業が増えており、勢いを感じますね」
インドへの投資戦略は、東西南北の特性を捉えて展開
では、日本企業がインドに進出するにあたり、特に留意すべきポイントはどこになるのか。「インドは広大ですから、まずは東西南北の4エリアに分けて地域特性を見ていくとわかりやすい」と、栗原さんは説明する。


「インドに日本人は1万人ほどいますが、その約半分が首都デリーとその周辺に住んでいます。やはりここがインド進出にあたっては第一候補。政治の中心でもあり、インド全域をつなぐハブとしての機能もあるので、まずは北部からインド進出するのが常道です」
その上で南部に目を向けるとIT都市のベンガルール、そして自動車産業が集積するチェンナイがある。南部はITに加え、ものづくりに注力しているエリアだ。「教育水準が高く、優秀な人材を北部よりもコストを抑えながら採用できるメリットがある。もう1つの拠点は、南部がその候補になるでしょう」

西部は金融・経済の中心都市ムンバイを擁し、財閥が集結するエリア。ムンバイのあるマハラシュートラ州だけで人口は1億2000万人を超えるが、日本人は500人と少ない。「比較的開発の遅れている東部になると、日本人はさらに少なくなります。最近になって日本製鉄が進出を企図している程度です」。ただ、日本から見た場合の伸びしろは東部とそこに連なる北東州も大きいのではないか、と栗原さんは話す。
「北東州には全人口の4%ほどしか居住していませんが、政府が注力エリアと位置づけており、国の予算の1割がここに投じられている。日本は開発パートナーとして期待されていますが、まだ欧米勢やインド国内財閥も力が入っていない地域なので、先行者メリットの観点で可能性を感じますね」
次に栗原さんが挙げるポイントは、州政府の存在だ。インドの地方行政区画は28の州と8つの連邦直轄領から構成されている。
「インドにおいて州政府は、日本の県以上に権限を持っています。だから、国が許可しても州政府の反対で頓挫する事業が出てくることもある。西部の州政府の意向で、日本が推進してきた新幹線のプロジェクトが停滞しかけるというようなことが現実に起きています(現在は政権交代により問題が解消)」。中央政府が州政府に強制できない領域もあるという事情が存在することを頭に入れておく必要があるだろう。

もう1つ、現地でのマネジメントで重要なのが「インド流」の尊重だという。
「日本流や欧米流のやり方を押し付けてもうまくいかないことが多いとの調査結果もあります。過去の経験も踏まえ、最近の欧米企業は現地で経験を積んだインド人に経営を任せるケースが大半になっており、日本企業もそういう例が増えています。インドはトップダウンの経営文化が中心で、また取引先との人間関係も意外なほど重要な要素。相手がどのくらい信頼できるかを非常に重視します」。そのため、本社からトップ人材を送り込むほかに、日本流や欧米流の経営理論を理解しつつインドの事情も熟知する優秀な現地人材をトップに活用することも検討に値すると栗原さんは説明する。
高まるJBICへの期待。現状はまだラーニングステージ
JBICでも、日本企業とインド企業の間での協業促進やインドの環境保全、経済成長の促進をターゲットに、さまざまな出融資メニューを活用した取り組みが近年急速に伸長している。これまでの支援実績は自動車関連や建機、製鉄などの製造業から、インド産業回廊開発公社(NICDC)への出資を通じた西部グジャラート州のドレラ工業団地をはじめとする複数の工業団地の整備、太陽光発電や廃棄物発電などのグリーンエネルギー、ワクチンや治療薬を製造する地場企業を支えるプロジェクトまで、多岐にわたっている。
インド全土の産業回廊開発支援を行うNICDCに、JBICは26%出資。インド政府の製造業振興策に足並みをそろえ、進出する日本企業を支えるほか、現在はグリーン分野における融資も1つの柱となっている

免責:地図上の表記は図示目的であり、いずれの国及び地域における法律上の地位、国境線及びその画定、並びに地理上の名称についても、JBICの見解を示すものではありません。
さらに現在、日本企業の進出領域は農業機器や農薬などの農業サプライチェーンを含め新たな展開を見せており、JBICの役割はさらなる拡大が見込まれる。なんといってもインドの農村地域はポテンシャルの宝庫だ。
「インドはまだこれから発展していく国です。JBICとしても、日本企業の意欲の高まりを受けて、さまざまな取り組みをしていかなければなりません。そういう意味で、我々としては依然としてラーニングステージにあるという認識でいます。『インド流』を日々学びながら、伸びしろにあふれたこの国と向き合っていきたいと思います」


JBICニューデリー駐在員事務所
首席駐在員
栗原俊彦(くりはら・としひこ)さん
メガバンクを経て2006年入行。鉱物資源部、財務部等を経て19年より現職。インド産業回廊開発公社(NICDC)社外取締役、印社会経済開発センター(CSEP)客員研究員、インド日本商工会金融部会長を兼務。慶應義塾大学商学部卒業、南カリフォルニア大学MBA