我が国および世界を取り巻く環境は、米中対立やロシア・ウクライナ問題などの地政学リスクの顕在化に伴う分断された世界、地球規模での気候変動・食料不足、半導体不足や原材料価格の高騰、さらには世界的なインフレーションの進行など、先行き不透明かつ困難な状況にあります。こうした困難な世界情勢の中、日本企業は、多くの産業に必要不可欠な半導体の確保など安定したサプライチェーンの再構築や、地球温暖化防止と企業収益を両立させる脱炭素社会の実現に向けた取り組みなど、極めて難しい課題に直面しており、こうした課題を克服していくためには、JBICを含む金融界の果たすべき役割も益々重要になってきていると感じています。
こうした認識の下、産業ファイナンス部門は、日本産業界のニーズを的確に汲み取り、積極的なリスクテイクを通じ、日本企業によるグローバルなサプライチェーンの強靱化・再構築のための支援、次世代技術獲得等に向けた海外M&Aに対する支援、グリーンファイナンスなどを通じた地球温暖化防止に資する案件の支援、日本や世界の未来を創るスタートアップ企業への支援を強化し、日本の産業の国際競争力の維持・向上に取り組んでいます。日本企業の皆様と、こうした難題への最適解を一緒に考えていきたいと思います。
産業ファイナンス部門長 佐々木 聡(常務執行役員)
事業環境と重点課題
不確実性の高い事業環境
日本経済は、2020年以降拡大した新型コロナウイルス感染症の影響による経済の落ち込みから、緩やかな持ち直しが見られ経済活動は徐々に回復しつつあります。一方、世界経済は、ロシアによるウクライナ侵攻や米中対立等の地政学リスクも依然存在する中、原材料価格の高騰や世界的なインフレーションの進行等により、先行きの不透明感が漂い景気の下振れリスクが高まりつつあります。その中で日本企業は、米ドルを主とした金利の上昇による資金調達コストの上昇、さらには円安進行による需要減退等、引き続き不確実性の高い事業環境に置かれています。
JBICが2022年12月に発表した「わが国製造業企業の海外事業展開に関する調査報告」において、生産活動に大きな影響を与えているショック要素として、「生産コスト・輸送コストの増加」が最多となる等、世界的なインフレーションが企業活動にも広く影響を与えていることが示されています。また、企業の事業戦略における地政学リスクの重要性に関しては、各企業がどの国・地域に拠点を有するかによらず、計85%の企業が「非常に重要である」または「重要である」と回答しています。このように、物価高と地政学リスクは、日本企業の海外事業展開に影響を及ぼす重要な要素であることを再認識する結果となっています。
サプライチェーン再構築とDXおよびGXによる新たな海外事業機会の創出
感染症や自然災害に加え、地政学リスクの高まりによるサプライチェーンの途絶リスクの高まりがみられる中、調達先の多様化や国内生産回帰も含め、安定的に原材料を調達するため、サプライチェーン再構築への対策が各企業において必要となりつつあります。
また、世界的には、米国では2022年8月にCHIPS法(注)が成立、欧州でも欧州半導体法案の成立に向けた動きがみられるなど、政府主導でDX(デジタルトランスフォーメーション)向け投資が推進されており、世界各地で産業のDX化の核となる半導体産業の重要性は一層増しています。日本でも、半導体や蓄電池に関する取り組みを加速させるとともに、生成AIも念頭においた情報処理基盤の構築や、データセンターの分散立地をはじめとする高度情報通信インフラの整備などの取り組みを包括的に進めるため、2023年6月に「半導体・デジタル産業戦略」が改定されました。
加えて、世界的な気候変動への意識の高まりと脱炭素社会の実現に向けた取り組みの加速を受け、米国での2022年8月のインフレ抑制法の成立、欧州での欧州グリーン・ディールの成立およびEU復興基金の創設等、排出削減と経済成長を両立するGX(グリーントランスフォーメーション)を掲げて、米欧を中心にDXとならび政府主導での投資が加速しています。日本では2050年カーボンニュートラル等の国際公約と産業競争力強化・経済成長を同時に実現すべく、2023年6月にGX推進法が施行され、GX経済移行債による先行投資支援や成長志向型カーボンプライシングの導入等が予定されています。
サプライチェーンの再構築に加え、米欧を中心とした政府主導のDX・GXの潮流が企業の新たな投資機会を創出している中、日本企業は、設備投資に加え、M&Aも活用した海外事業展開を継続しています。2022年の日本企業による海外M&Aは、2021年と比して金額規模は縮小しつつも件数は625件と横ばいでした(図表1)。この結果は、先行きの不透明な事業環境下、小規模投資によってリスクを回避しつつも、海外展開を続ける日本企業の動向を示すものと考えられます。
「わが国製造業企業の海外事業展開に関する調査報告」(2022年度)によれば、各企業の2022年度実績見込みの海外売上高比率、および各企業が中期計画の下で想定する2025年時点の海外生産比率は、新型コロナウイルス感染拡大前以前に近い水準まで回復する見通しとなっており、日本企業の海外事業拡大意欲は回復傾向にあります。今後、さらなるDX・GX投資を通じた事業拡大が期待されるほか、M&A活用による海外展開の継続が見込まれます。
注釈
- (注)
CHIPS法:正式名称「Creating Helpful Incentives to Produce Semiconductors and Science Act」は、米国内での半導体の開発・生産支援のほか量子コンピュータやAI(人口知能)といった先端技術への投資を支援する法案
中堅・中小企業の海外事業展開
中堅・中小企業は大企業に比べ活用できる人材や資金が限定的であり、海外事業展開においては地政学リスクの高まりを背景とするサプライチェーンの混乱・寸断や米ドルを主とした金利の上昇による資金調達コストの増大等による影響を大きく受け、その対応を迫られています。
サプライチェーンについては、中国依存からの脱却・多様化を目指し、ベトナム・インドなどアジア第三国への工場移転など、世界的なサプライチェーン再構築の動きが見られたほか、資金調達への対応としては例えばタイ・バーツなどアジアの現地通貨建借入を行うことで金利が高止まりする米ドル建ての借入を回避するための対応が見られました。設備投資の傾向としては、円安要因はあるもののコロナ後の世界的な力強い需要回復の流れを受け、底堅い設備投資行動が見られたほか、工場用電力のための太陽光発電投資など、GXの潮流を意識した設備投資も各産業セクターで見て取れました。
「わが国製造業企業の海外事業展開に関する調査報告」(2022年度)によれば、海外事業を「強化・拡大する」と回答している中堅・中小企業は、回答企業全体の56.5%と過半を超え、かかる不透明な世界経済情勢を踏まえても、中堅・中小企業は海外事業展開を引き続き強化・拡大することが重要と認識されています(図表2)。新型コロナウイルス感染症への対応が収束する中、中堅・中小企業の海外事業展開の維持・拡大が期待されます。
JBICの取り組み
多様な手法を活用した日本企業の海外展開支援
JBICでは、第4期中期経営計画において「経済情勢の変化に即応した政策金融機能の発揮」、「産業・社会構造の変革下における我が国産業の国際競争力強化支援」を重点取組課題として掲げています。2021年1月には、「ポストコロナ成長ファシリティ」を創設し、ポストコロナに向けた経済構造の転換・好循環の実現を図るべく、日本企業の国際的なサプライチェーンの強靱化・再構築への対処や日本企業による海外M&A支援に取り組みました。また、「ポストコロナ成長ファシリティ」の後続として、2022年7月に設立された「グローバル投資強化ファシリティ」(調印期限:2025年6月末)の下では、日本企業によるグローバルなサプライチェーンの強靱化・再構築の支援のため、トルコで行う表面処理鋼板等の製造・販売事業に対する支援、カナダで行う車両骨格部品等の製造・販売事業に対する支援、インドネシアで行う自動車の製造事業に対する現地通貨建ての支援や、欧州で行う自動車部品の開発・製造・販売事業に対する支援を日本企業に対して行いました。また、次世代技術獲得等に向けた海外M&A支援のため、日本企業が米国アニメ配信プラットフォームの運営企業を買収するための資金や、日本企業が米国メタル系フォトレジストの開発・製造企業を行う企業を買収するための資金を融資しました。加えて、グリーンファイナンス・トランジションファイナンスへの取り組みとして、日本企業がハンガリーにおいて行うリチウムイオン電池用カルボキシメチルセルロースの製造・販売事業に対して支援しました。
また、海事産業および航空産業における日本企業の国際競争力の維持・向上のための取り組みも引き続き実施しました。これらの業界も、脱炭素社会の実現に向けた取り組みや新型コロナウイルス感染症拡大からの回復に向けた戦略転換を図っています。具体的には環境規制を踏まえた最新鋭の船舶の利用および新燃料船の導入等に向けた開発の促進、省燃費性能の高い航空機材の導入等の取り組みの促進、またポストコロナの旅客需要の回復に対応した航空機材数拡大等の事業拡大に取り組む企業もあります。こうした状況下、日本の航空会社による海外からの機体購入につき、民間金融機関による国内航空会社向けで初めてとなるトランジション・リンク・ローン(CO2排出削減目標の達成度に応じて金利等の貸出条件が変動するローン)に対する保証の供与を行いました。また、日本企業による海外における航空機リース事業拡大に向けた、航空機リース会社の買収資金への融資を通じ、さらなる事業拡大・収益機会獲得の支援を行っています。
中堅・中小企業の海外事業展開支援
JBICは本店および大阪支店に中堅・中小企業支援専門の部署を配置し、中堅・中小企業の海外事業展開支援に積極的に取り組んでいます。2022年度は、サプライチェーンの混乱やロシアによるウクライナ侵攻等の地政学リスクの顕在化等により、新型コロナウイルス感染症拡大前に比べると海外投資を控える傾向が見られたものの、サプライチェーンの再構築につながる設備投資・移転や、太陽光発電設備などGXを見据えた環境投資等に対する資金支援で、地域金融機関等とも緊密に連携しつつ、計64件の中堅・中小企業支援案件の融資保証の承諾を行いました。
また、JBICは、金利が高止まりする米ドル建ての借入を回避するための対応として、タイ・バーツ、インドネシア・ルピア、インド・ルピー、人民元などをはじめとする現地通貨を含む外貨建て融資を行うなど、中堅・中小企業にとって最適な通貨での資金支援による海外事業展開支援を行いました。
さらに、スタートアップ企業に関しては、独立行政法人等9機関の間で2022年11月に締結した「スタートアップ・エコシステムの形成に向けた支援に関する協定書」も踏まえつつ、日本や世界の未来を創るスタートアップ企業の取り組みを積極的に支援していきます。また、中堅・中小企業は大企業に比べて、海外事業に必要な情報収集等の面でも制約を抱えている場合があることから、中堅・中小企業支援の担い手である地域金融機関や公的機関、経済団体、中小企業支援機関、海外展開支援機関等との連携も強化しつつ、海外投資環境をはじめとする各種情報提供やJBICの海外駐在員事務所等も活用したセミナーや個別相談会を通じたきめ細やかな支援を実施していきます。
日本企業が直面する危機や多様化するニーズへの対応
日本企業の海外展開の面からは、経済成長に伴う人件費の高騰や米中対立を踏まえた事業リスクの高まりにより、中国での事業強化を重視する企業が減少する一方、ベトナムやインドなどの新興国への関心が高まっています。さらには、半導体など戦略物資の世界的な不足などを背景に、グローバル・サプライチェーンの見直し・再構築・最適化の必要性に多くの企業が直面しています。JBICは、こうした変化や世界経済の動向、日本企業の資金ニーズ等を的確に捉えつつ、「グローバル投資強化ファシリティ」も活用し、日本の産業の国際競争力の維持・向上のために貢献していきます。
産業ファイナンス部門では、大企業のみならず中堅・中小企業も含めた多くの日本企業が直面する課題に応じた支援を継続すると共に、日本企業の課題・ニーズを的確に把握し、第4期中期経営計画で掲げる地球規模の課題への対処、サプライチェーン強靱化や日本企業のデジタル変革等に向けたM&Aによる技術獲得等への支援等、日本の持続的な成長につながる新たなビジネス機会の探索と創造に貢献すべく、さまざまな金融手法を駆使し、またリスクテイク機能の強化等を通じて、日本と世界をつなぐ役割を引続き果たしていきます。
取り組み紹介
JSR(株)による米国法人Inpria Corporationの買収資金を融資
半導体分野における日本企業の海外M&Aを支援
JBICは、JSR(株)との間で、貸付契約を締結しました。本件は、JSRが、米国法人Inpria Corporation(Inpria社)を買収するために必要な資金の一部を融資するものです。Inpria社は、次世代EUVリソグラフィ(注1)用メタル系フォトレジスト(注2)の設計・開発・製造を行う企業です。半導体チップは微細化が進んでおり、その実現にあたっては次世代のEUVリソグラフィおよび高品質なフォトレジストといった技術が不可欠です。Inpria社のメタル系フォトレジストは世界最高性能の限界解像度を達成しています。JSRは、Inpria社の買収を通じて、Beyond 2nmと呼ばれる次世代半導体まで対応可能なフォトレジストメーカーとなることを目指しています。本融資は、こうしたJSRの海外事業展開を支援するものであり、日本の産業の国際競争力の維持および向上に貢献するものです。
注釈
- (注1)
EUV(極端紫外線)リソグラフィは、半導体チップの製造工程で不可欠な13.5nmの極端紫外線光を用いた露光手法です。
- (注2)
メタル系フォトレジストは、次世代EUVリソグラフィで用いられる高品質なフォトレジスト(感光材)の中でも、世界最高性能の限界解像度を達成しているものです。
三井化学(株)のシンガポール法人が実施するタフマー®の製造・販売事業に対する融資
日本の化学メーカーの海外事業展開を支援
JBICは、三井化学(株)のシンガポール法人MITSUI ELASTOMERS SINGAPORE PTE LTD(MELS)との間で、貸付契約を締結しました。本件は、MELSが実施するタフマー®(注)の製造・販売事業に必要な資金を融資するものです。MELSが製造・販売するタフマー®は、プラスチック樹脂素材として、柔軟性や軽量性といった特徴を持ち、自動車部品をはじめ、包装材料、スポーツ用品、特に近年ではクリーンエネルギー関連部品など幅広い分野で使用されています。昨今、脱炭素社会の実現に向けて、世界的にクリーンエネルギー導入への注目が集まる中、三井化学はこの需要拡大に対応するべく、MELSの生産能力増強を計画しています。本融資はこうした三井化学の海外事業展開への支援を通じて、日本の産業の国際競争力の維持・向上に寄与するものです。
注釈
- (注)
タフマー®は三井化学の登録商標です。
三井住友ファイナンス&リース(株)傘下の航空機リース会社
SMBC Aviation Capital Limitedによる航空機リース会社の買収資金を融資
日本企業の海外M&Aを支援
JBICは、三井住友ファイナンス&リース(株)との間で、傘下のアイルランド法人SMBC Aviation Capital Limited(SMBCAC)が同国法人Goshawk Management Limitedを買収するために必要な資金の一部について、融資契約を締結しました。
SMBCACは世界各地のエアラインと広く取引のある有数の大手航空機リース会社であり、流動性が高く、また環境に配慮したナローボディ機材が中心の良質なポートフォリオを保有しています。三井住友ファイナンス&リースは、航空機リース事業を主要な成長分野の一つとして捉え、グローバルマーケットにおける事業展開の拡大を図る中、本買収を通じて、SMBCACの航空機リース業界でのプレゼンスを強化し、今後も高い伸びが見込まれる航空機需要を取り込むことで、同事業の持続的な成長とさらなる収益機会の獲得を目指しています。
本融資は、三井住友ファイナンス&リースの傘下企業による海外でのM&Aに必要な長期外貨資金を供給することで、日本企業の海外における事業拡大を支援するものです。
ユーシーシーホールディングス(株)によるオーストラリア法人Suntory Coffee Australia Limitedの買収に必要な資金を融資
日本企業の海外M&Aを支援
JBICは、ユーシーシーホールディングス(株)(UCCHD)との間で、貸付契約を締結しました。本件は、UCCHDが、その子会社であるオーストラリア法人UCC ANZ MANAGEMENT PTY LTDを通じて、オーストラリア法人Suntory Coffee Australia Limited(SCA)の買収に必要な資金を融資するものです。
UCCHDは、直営農園で苗木を育てることから、生産国での農事調査、品質保証、原料調達、マーケティング、研究開発、製造から販売に至るまで、「カップから農園まで」一貫したコーヒー関連事業を展開しています。
オセアニア地域では、コーヒーの堅調な需要拡大が見込まれる中、UCCHDは、同地域において業務用レギュラーコーヒーやスペシャルティコーヒーの事業基盤を有するSCAの買収を決定しました。
本融資は、こうしたUCCHDの海外事業展開を支援するものであり、日本の産業の国際競争力の維持および向上に貢献するものです。
エア・ウォーター(株)による米国法人の買収に必要な資金を融資
日本企業の海外M&Aを支援
JBICは、エア・ウォーター(株)の米国法人Air Water America Inc.(AWAI)との間で、貸付契約を締結しました。本件は、エア・ウォーターが、AWAIを通じて米国法人Noble Gas Solutions, LLC(NGS)を買収するために必要な資金の一部を融資するものです。
エア・ウォーターは、2018年に米国事業の統括会社としてAWAIを設立しました。同社は、エレクトロニクス関連分野を中心に今後も堅調な産業ガスの需要拡大が見込まれる北米において、産業ガス分野で川上から川下までの一気通貫のサプライチェーン構築を目指しており、ニューヨーク州を地盤とするガス販売網を有するNGSの買収を決定しました。本買収により、エア・ウォーターは、NGSが有する販売ネットワークや販売インフラを活用することで、北米地域における事業拡大を企図しています。
本融資は、こうしたエア・ウォーターの海外事業展開を支援するものであり日本の産業の国際競争力の維持および向上に貢献するものです。